天然の生け簀 富山湾鮨

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お知らせ

ご主人と奥さんの人柄に魅せられて 『石松寿司』さん

2015.03.30

 これまでの取材同様に、ご主人が職人を目指したきっかけやこれまでの経歴を聞いていこうとするが、一向にまともな答えが返ってこない(笑)。

 「東京で修業しただけでいいですよ、すんません」と笑うのは『石松寿司』のご主人、久々江良行さん(68)だ。

 「鮨屋いいなと思って。そんなん聞かれたら嫌になってくる」とまた笑う。念のためお伝えしておくと、取材を拒まれて嫌な空気になっているのではなく、「いっちゃ、そんなこと書かんでも。わっはっは」といった感じの雰囲気。

 久々江さんは、とても気さくでとっても感じの良い方なのである。そして奥さんのことが大好きなのである。

 

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 撮影用に、アンコウを手に持ってもらうことになった。久々江さんはその際、奥さんに「ちょっ、ちょっ、ミキ、ミキ。こんでいかったけ?左手で口の方、持っとったっけ?」と聞いている。どうやら以前、別の雑誌で撮影した時のポーズを思い出そうとしているようだ。奥さんの美紀子さんは、「そんなんどっちでもいいねか。ちゃんと見えとれば」と、困った様子で笑う。何とか撮影を終えると、次は外観を撮らせてもらう。休憩時間だったので、暖簾をまたかけてもらうことになったのだが、この時もご主人が自ら暖簾を持って既に動いているのに「ちょっ、ちょっ、ミキ、ミキ」と声を掛ける。あまりにも愛おしい関係に見えてきたので、この一連の声掛けについて思い切って聞いてみた。すると返ってきた言葉は、「愛しとっからね。わっはっはっ」。しかし間髪入れずに美紀子さんが「何でもさせるの」と顔をしかめるふり。

 

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 毎年、九州から飛行機に乗って『石松寿司』のお鮨を食べに来るお客さんがいるという。その方は、富山にいた学生時代からの常連さんだそうで、今はお医者さんとのこと。もう50才を過ぎているというが、独身時代を経て、結婚して奥さんと、そして子どもも連れて、毎年毎年、顔を出してくれるのだ。鮨を食べてトンボ返りすることだってあったそうだ。「何十万円をかけて、うちの鮨を食べにきてくれる」と目を丸くしながら2人とも恐縮する。

 

 その話を聞いて思ったことはとてもシンプル。久々江さんの握るお鮨はもちろん、久々江さんと美紀子さんに会いにきているんだなぁ。この場所が好きで好きでたまらないんだろうなぁ。

 

 北陸新幹線の開業に伴い各方面で、いかに富山の良さを発信し、魅力を伝えるか、足を運んでもらえるか、もう一度来てもらえるか、ということで話題は持ちきりだが、やっぱり最後は人なんだろうなぁと改めて実感した瞬間でした。

若い職人さんにも会いにいこう!『味喜寿し』さん

2015.03.29

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 取材をしてきた中で、一番若い職人さんに出会った。高岡市にある『味喜寿し』の後継者となる人物だ。下久保勇治さん(32)。父親と同じ板場に立って8年目。この日、まだお昼の時間をちょっと過ぎただけだったので、店内には2組のお客さんがいた。しばし様子を伺っていると、やはり勇治さんの返事や会話が活き活きしている。

 これまでの取材では、職人さんのいい味を存分に感じてきたが、今回この雰囲気は初めてかもしれない。


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左)勇治さん 右)盛幹さん

 

 『味喜寿し』の初代であり、今のご主人でもある下久保盛幹さん(60)は、取材の冒頭、「これからは若いもんが目立っていかんなんから」と言って、息子さんの取材をすすめてくれた。「えっ、俺が!?」と父親に返す勇治さん。

 お客さんがひいて間もなく、よくよく聞いていくと、後継者の誕生は勇治さんのやさしさから始まったものだった。

 

 元々、会社勤めをしていた勇治さんが24才の時だった。盛幹さんが体を壊した時に、お店の手伝いを買って出た。当時は他に職人さんもいたのだが、「自分が出来ることをやろう」と、仕事の後や休日に自分の時間を割いて、父親を支え続けたのだ。

 盛幹さんも、「自分が体を壊してなかったら、後継ぎはいなかったね」と笑い、勇治さんも「その可能性は高い」と認めた上で、こう続ける。「仕事の内容みていったら、やりがいある仕事やなと。自分の身にもなるし、やりたいなと」。

 盛幹さんの体は直に良くなったらしいが、勇治さんは会社を退社し、そのまま下積み生活を始めるに至ったというわけだ。


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写真は「店主おまかせにぎりコース 喜コース」の握りとバイ貝 

 

 『味喜寿し』の常連さんに、毎週2〜3回お鮨を食べに来る93才のおじいさんがいるらしい。いつも10個ほど食べていき、「お寿司を食べたら元気になる」と笑顔を向けてくれるという。そして「食べもんが一番楽しみだ」とも。

 盛幹さんは、「その姿を見て、私らも元気出さんなんと思います。食べることが生きる楽しみ。健康のもと。そう言って鮨を食べてもらっている」と喜び、「寿司とは字のごとくやねか。寿司は長寿のもとや」と表情を崩す。

 

 後継者となる勇治さんはこう言う。「お客さんが足を運んでくれて、笑顔で帰っていく。こんな仕事は中々ない」。そして勢いのある口調でさらに気持ちを込める。「どう考えても若い職人さんが少ないので、盛り上げていきたい。こんなおいしい魚があるので、もっと富山を知ってもらわないと。日本一だと思っているので。日本一ってことは、世界一ってことですから」と、鮨職人としての強い誇りをにじませた。


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『味喜寿し』の極上煮穴子!2貫分のシャリの上にホクホクの煮穴子がのせられている。思い出しただけでも、幸せな気持ちが蘇ってきます。言うまでもなく大人気の一品!


 

鮨とは、人の心を握るもの 『歩寿司分家』さん

2015.03.28

 JR富山駅前の桜町に店を構える『歩寿司分家』。北陸新幹線の開業後、「出入りは変わってきたように感じる」と、ご主人の酒井正美さん(58)が言う。もちろん、富山湾鮨を注文していく人たちだ。

 新幹線に沸いた街の熱気は、どこかまだ冷めやらない。しかし酒井さんは落ち着いた口調でこう話す。「来た人を丁寧に相手にする。基本は同じ」。

 

 高校を卒業してから愛知県で修業を積み、その後、兄が初代の『歩寿司本家』で鮨を握った。昭和60年、29才の時に分家として独立し、ずっとこの場所で駅前の発展と衰退、そして新たな希望を見続けてきた。

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 駅前といっても、これまでは富山の常連客がほとんど。酒井さんの握るお鮨を知り尽くした人たちが多かった。しかし、これからは一期一会の観光客も増えてくるだろう。富山に生きる鮨職人として、どんなおもてなしの心でいるのか尋ねてみた。

 

 「入ってきてくれたら、どうとでもしてあげられる。いいものをきちっとして出してあげる。感じるのはお客だから」。この言葉には、プロとしての誇りと余裕が詰まっている。そして、師匠や兄が教えてくれたという大切な言葉も口にしてくれた。「鮨は人の心を握るもんや。鮨屋は鮨屋らしく」。

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 富山が全国に発信する素材の中でも、大きなブランド力を持つ"お鮨"。職人さんには、とても大きな責任を背負ってもらっている。

 「帰っときにおいしかったと言わせるのが俺らの仕事。また来ますと言わすのが仕事」。そう言って笑顔を見せる酒井さん。

 ぜひ新幹線に乗って、富山の鮨職人に会いに来てもらいたい。

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三代に渡って磨き上げてきた職人魂 『鮨よし』さん

2015.03.27

 創業は昭和50年。ここは氷見市にある『鮨よし』。ご主人の小川憲和さん(68)が、「もうお店は任せてある」と言う視線の先には、カウンターに立つ次男の功さん(36)の姿。この日、お目にかかれなかった長男の和秀さん(40)は、お店の経営のほかに、鮨以外の料理を裏方として担当しているそうだ。

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 『鮨よし』のルーツは、憲和さんの義父が経営していた魚屋さん。その真横に開業したのが、憲和さんのお店だった。

 「義父は鮨屋で酒を飲むのが楽しみだったんじゃないかな」と当時を懐かしむ。

 婿養子となった憲和さんは、買参権を持った鮨屋として毎朝競りに足を運び、長年、魚を見抜く眼力を磨いてきた。

 

 そんな代々受け継がれる目利きの遺伝子が、功さんと和秀さんには組み込まれている。「魚にかける情熱はDNAです」と自らも認める功さん。

 「物心ついた頃から、鮨屋を継ぐんだろうなと思っていた」と話し、「自然の流れです」と豪快に笑い飛ばす。

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次男・功さん 


 功さんが氷見で揚がる魚について教えてくれた。氷見の漁船では、引き揚げたばかりの魚を大量の氷で「沖じめ」するのだという。そのため弾力や脂の甘みがしっかり残るそうだ。普通だと刺身にならないような小さな魚でも、刺身で食べられるというのが凄い。

  今は、功さんと和秀さんが毎朝、氷見漁港に出向き、互いに連携を図りながら狙った魚を競り落とす。

 「漁師さんが命懸けで獲ってきた魚です。そのものを提供するのが、私たちの使命なんです」。ここまで熱く語れることは中々ない。

 そんな魚をどこよりも早く持ち上がり、包丁を入れる。時には、浜で血抜きも行う。これが出来るのは、買参権を持った鮨屋の強みでもある。たった1、2時間の差であっても、提供時の鮮度に違いがでるというのだ。直接競り落とすことで安く提供できるという発想はない。「より良いものを探して、一点物を狙いにいく」。そんな気概を常に持ち続けているのだ。

  「魚の香りとシャリだけで食べられる。醤油なしでも大丈夫なんです」と言われてそのままいただいたイワシの握りが、とんでもなく美味い。「いつもストレート勝負」と功さんが笑いながら、「本当は色々と手を入れたほうが美味しいんです。でもね、氷見でしか食べられない鮨の食べ方がある。魚本来の香りを楽しめるのは、その日だけなんだから」。

  三代に渡って磨き上げてきた職人魂。功さんは言う。

 「氷見の美味しい魚を食べてもらいたい。その一心だけです」。

 

富山湾鮨生みの親『寿司正』さん

2015.03.23

今回ご紹介するのは富山市一番町にある「寿司正」さんです!
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中に入ると新幹線がお出迎え。
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観光マップなども用意されており、旅行者を迎える準備は万全です!
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有名人のサインが数多く飾られており、どのような方が来店したのかご主人にお聞きすると...
「この間はCMの撮影で仲間由紀恵さんが来てったよ!」
びっくりです!
https://www.youtube.com/watch?v=NdSPRYMyJ6A
もうご覧になった方も多いと思いますが、まだ見てないという方はぜひ、こちらのCMをご覧ください(^ν^)寿司正さんが出ています!

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この日は新聞社の方も取材に来ており、一緒にお鮨をつまみながら富山湾鮨誕生に関するエピソードをお聞きすることができました。
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「新幹線が来るって決まって、富山のもので旅行者に喜んでもらうには魚=鮨しかないだろうと思った。自らの足で県庁に出向いて、県の職員の方に富山の鮨を広めたいことを語ったんです。そこがはじまりです。」

寿司正のご主人のお鮨に対するあつい想いからはじまったこの「富山湾鮨」。
富山湾鮨生みの親である寿司正さん、ぜひ皆さんも一度ご来店ください。おいしいお鮨のほかにも、ご主人ならではの富山おすすめスポット等も聞けちゃう、旅行の方にはとってもうれしいお鮨屋さんです。


【寿司正】
住所:富山市一番町4-29
TEL:076-421-3860
営業時間:11:00〜13:30、17:00〜24:00
定休日:火曜日











地元に根ざした鮨屋を親子で守る 美喜多寿司さん

2015.03.23

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 海に面した富山市の漁師町・四方に店を構える『美喜多寿司』さん。創業は昭和52年。ご主人の喜田粂吉さん(72)と息子の吉宏さん(46)が、いつも温かい笑顔で迎えてくれるお鮨屋さんだ。

 富山県旧八尾町出身の粂吉さんは、兄が東京で和食の職人をしていたこともあり、中卒ですぐに上京。「若者だったので、東京に行きたかった。鮨を食べたこともない、鮨を知らん者がね」と当時を振り返る。

 そんな東京で6年間、鮨職人としての修業を積み、地方でも経験を重ねたのち、ある縁も手伝って故郷富山で開業を果たすことができた。しかし八尾ではなく、ここ四方で。

 「明日からでもすぐにできるところがここだった。独立するにはちょうどいい場所だった」と言うが、これまで取材してきた感覚では、多くの職人さんが、自分の生まれ育った地域で開業していたことを思い出す。さらにここは漁師町。

 「下手な魚使えんしね」と笑って煙に巻かれたが、おそらく様々な苦労を乗り越えて、四方の漁師さんに認められてきたのだろう。20年ほど前には少しだけ場所を移転して今の店を構え、修業から戻った息子の吉宏さんと2人で板場に立ってきた。その後、吉宏さんも地元の商工会青年部の顔として活躍し、スポ少サッカー部の監督だって務める。吉宏さんは、「店をなくしたらあかん。地元の人が集まる場所がなけんにゃまずい」と言って、父が築き上げてきた大切な鮨屋を守り抜く覚悟だ。

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 家族連れのお客さんを何より大切に思う粂吉さん。「子どもは正直だから、鮨が廻ってないっていうんですよ」と笑う。そんな時は「俺が鮨をもって廻っとるがやちゃ」とお茶目な一面ものぞかせる。

 「大体、小学生の子どもが中学高校になると一旦こなくなって、次に来る時には親になって自分の子どもを連れてくる。嬉しいね」と目尻にシワを寄せる。

 そんなほのぼのとした一幕がある一方、最近ではバスツアーの団体客が月に3、4回、店を訪れるそうで、大忙しの連続。さらに首都圏での富山湾鮨のPRにも駆り出されることも度々あるそうだ。

 私が「そろそろ代替わりはお考えなんですか?」と尋ねると、粂吉さんは「手先の仕事をしとったほうが、案外と長生きできるからね」と楽しそうに笑い、旬の素材で握った美味しい美味しい富山湾鮨をごちそうしてくれた。

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