天然の生け簀 富山湾鮨

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お知らせ

県内では初の駐車場付郊外型の鮨店として発展 『栄寿司』さん

2014.09.16

 とにかくお店の規模がすごい。大型バスも乗り入れることができる広々とした駐車場。そして2階には50人が利用できる宴会スペースがあり、カウンターやお座敷がある1階とあわせると75席が用意されている。オーナーは石黒幸造さん67歳。オーナーといっても、もちろん現役の鮨職人だ。奥さんと8人の従業員、あわせて10人がこの大型店舗を支えている。

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昭和47年6月に創業した『栄寿司』さんは、開業当時、県内では初めての駐車場付郊外型鮨店として注目を浴び、車で行けるお鮨屋さんとしてたちまち人気を集めた。郊外にお店を置いた理由を聞くと、当時街中の鮨屋では、夕方の早い時間か飲んだ後の遅い時間にお鮨をつまむお客さんが多く、肝心のご飯どきには客足が遠のく傾向にあったことを教えてくれた。晩の食事としてお鮨を食べてもらいたい。さらに、これから到来する車社会を見据えた決断だったという。

しばらくすると、魚の一品料理を求める常連客の要望に応えて、次々と新しいメニューを考案していく。魚の焼き物や天ぷら、シーフードサラダなどを提供し、"鮨居酒屋"のスタイルもいち早く打ち出した。

そんな経営手腕を振るう石黒さんの発想力は会話をしていても随所に現れる。痛快な語り口から次々とジョークが飛び出し、こちらの笑いが止まらない。オヤジギャグのそれとは全く違う。その間、お鮨を握ってくれていた柴田店長も、愉快そうにこちらの様子を伺う。柴田店長に石黒さんについて聞くと、「楽しい方ですし、怒ってくれるときはちゃんと怒ってくれますし、休みは気をつかってくれますし、勉強のためだと言ってゴルフにも連れて行ってくれます。本当に尊敬しています」と心から親しみを込めるように答えてくれた。揺るぎない師弟関係、信頼関係が伝わってくる。

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(左 柴田店長   右 石黒オーナー)


そんな『栄寿司』さんには、5年前までもう一人の有望な鮨職人がいた。石黒さんの息子である石黒幸太郎さんだ。実は今、ロンドンにある有名な高級和食店で、鮨職人としての能力をいかんなく発揮している。『栄寿司』で10年間働いた幸太郎さん。イギリスの食通を唸らせる日本代表の味が、まさに『栄寿司』の味なのである。

 聞いてびっくりする私を尻目に、ちょっと照れ隠しなのか、口笛を吹くかのような様子で支度を始める石黒さん。

 ここでは石黒さんとの楽しい会話を、コメント起こしで再現できなかったので(微妙なニュアンスが崩れると嫌だったので、あえて・・)、ぜひ実際に足を運んで体感してみてください。

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50周年を迎えた老舗鮨店 『寿し富』さん

2014.09.12

    ご主人の太田孝信さんは現在74歳。きょうも板場に立ち、元気にお鮨を握っています。

    開業したのは今から50年前。ずっと、ここ、総曲輪通りの裏手に店を構えています。当時、太田さんはまだ24歳でした。周囲からは"この若造"といった視線も感じていたと言います。     

  「自分の偏見かもしれないけどね。とにかく早く30歳になりたかった」。懐かしむように、若かりし頃を振り返ってくれました。

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太田さんは高校を中退し、金沢と東京の鮨屋で7年間修業を積みました。「食だけはいつの時代も必要だ」という、親のすすめがきっかけでした。はじめは和食の道を志すも、縁があって鮨職人の世界へ。月1回の休みで、朝から晩まで立ちっぱなしの日々を送りますが、働くのが当たり前だったと話し、それを苦労とは思わなかったと言います。

 若くして開業したものの、仕事に対するひたむきな姿勢は当然認められ、お店は多くの客で賑わうようになりました。街中にあり、「当時は人の流れも良かった」と太田さんが話すように、毎年右肩上がりの業績を残し、多いときは板場に5人の職人が立っていたと言います。バブルの崩壊とともに客足は鈍ったものの、それからも多くの常連客に愛されながら、商売を続けてきました。

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 太田さんが言います。「商売はヒト対ヒト。新しい出会いがある。その出会いが有難い。他人同士が親しくなるんだから」。

流れた時間は半世紀。親子二世代で通ってくれる常連客もいます。「小さかったお子さんが、その当時のお父さんくらいになっているんだからねぇ」。喜びを噛み締めるように、太田さんは笑顔を見せてくれました。その横には、また笑顔が素敵な奥さんが、いつも寄り添っているのです

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